雑記:エッセンスとしてのトライバリズム








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ナショナルジオグラフィック:100年前の写真で見る 世界の民族衣装

装丁に惹かれて買ったら凄く良かったんですが、ファッションのグローバル化によって失われた豊かさとか、メゾンブランドのコレクションの様なアート性云々・・・という、結局のところベタベタな感想しか浮かばない、我が身の浅薄さが浮き彫りにされる自体に・・・。

どんなに貧乏だろうがコストを惜しまず、高価で生産工程が複雑な伝統衣装を大切に着る事は、自分達のコミュニティへの帰属意識やプライド、民族の歴史という物語を身に纏うトライバリズムであって、それは視覚的に精神的に美しく、時に僕達は失われたものへの憧れを持って見ます。

ではTシャツとジーンズを象徴とする文明社会に生きる、僕達のコミュニズムやトライバリズムとは何処に?という問い。

例えば2020年の東京オリンピックに向けて、日本の良さを海外にアピールする為に、みんなで着物を着ようとする運動はトライバリズムへの回帰か?
それは日本古来の文化をグローバルに発信する祭事の為であって、自分達の帰属意識を確認するトライバリズムとは別物です。
アスファルトの上をスニーカーで歩く便利さを知った人は、2度と土の上を裸足で立つ生活に戻れないという事です。

でもだからこそ、僕がやってるような、どちらかというとコアな人達に向けたモノの出番があるのでは?と思うんです。

ウチの扱うデニムの生地や縫製が実はこんな手間暇が掛かって云々、このTシャツのプリントにはどういう意味があって云々、この服にお金を払うと何処のどんな作り手に1票を投じる事になるか云々。
その様に独自の価値基準でモノを選び取る行為は、自分の立ち位置や出自が問われるというか、安価な生産品が何処でも手に入る世界に対する、カウンター意識のコミュニズムとかトライバリズムと言えなくもない。
ディティールではなくエッセンス(又はスタンス)でという意味なら、能動的にモノを選ぶ人の中で、民族衣装と同質なものは現在に生きている。

高級メゾンのコレクションに身を包む人だって、この本の表紙の、財力を示す為にコインで飾りまくった少女の写真と同じで、「オレ、金持ってんぞ!ファッションのエッジだぞ!」という帰属意識の表現であって、もう完全にトライバルです(笑)。

洋服屋としては、エッセンスとして、そのトライバリズムに意識的でいたいよな、と思った次第です。












山下禎典





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